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CATEGORY[塾メモ]
コメント[ 0 ] 2016年08月05日18:13
まずうんちく~

坂上田村麻呂の佩用刀と称されるものが複数伝わる。

【黒漆太刀】:重要文化財、鞍馬寺所蔵
【騒速】:重要文化財、播磨清水寺所蔵
【楚葉矢の剣】:子嶋寺旧蔵

本物来歴
来歴

征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の蕨手刀に対抗するために作らせた細身で重ねの厚い剛刀。雷が鳴ると、ひとりでに鞘走るという。

これを愛刀にして田村麻呂は蝦夷を征伐したという。
田村麻呂の死後、天皇家の御剣となって「坂上宝剣」と呼ばれ、今は鞍馬寺に「黒漆大刀(こくしつのたち)」として所蔵されている。
ただし鞍馬寺ではこの「黒漆剣」を「坂上宝剣」とは呼んでいないということで、別物であるとしている。

明治44年4月17日、旧国宝保存法による国宝指定を受ける。

黒漆剣〈/(寺伝坂上田村麻呂佩剣)〉

現在は重要文化財指定。


ソハヤノツルギウツスナリ

ソハヤの剣を写したという剣
ただし現存するソハヤの剣と思しきものはすべて剣であって湾刀ではない。写したという元の刀がどのようなものであったのかについては、現在は不明。
鎌倉時代の筑後国の刀工・三池典太光世作と伝えられる日本刀。「革柄蝋色鞘刀〈無銘(伝三池光世作)/裏ニ「妙純傳持ソハヤノツルキ」/表ニ「ウツスナリ」ト刻ス〉」として1911年4月17日に重要文化財に指定されている。
銘の意味は定かではないが征夷大将軍坂上田村麻呂の佩刀騒速(そはや)の写しとされる。 また美濃国守護代斎藤妙純が所持していた刀であるという説がある。
妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは行光作の脇差と大小で徳川家康の愛刀であったという。家康は大坂の陣によって豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした後も、徳川家に対して不穏な動向のある西国にこの刀の切先を向けて久能山東照宮に安置するように遺言を残したという。現在は久能山東照宮博物館に収蔵されている。
死期の迫った徳川家康が、都筑久大夫景忠に命じて江戸城内で試し切りを行わせ、大坂の役後もなお不穏な動きのある西国に対し、自らの墓所にこのソハヤノツルギの切先を西方に向けて置くよう遺言したという太刀。



個人的には、鉢巻足りねーと思った。
もっと武田れ。武田倒しちゃう剣だけど。
確か家康の対蝦夷戦の刀剣だったはず~

まあ、大体「北海道民絶対殺すマン」で大体全て説明できる刀剣です。
「東北民絶対殺すマン」の方が正確かなあ?

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