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コメント[ 0 ] 2014年11月11日18:06
庭掃


平安時代中期、10世紀末に書かれた『枕草子』や、平安時代後期、11世紀後半に成立したとされる作り物語『狭衣物語』に、すでに慣用句として「芹摘む」という語が登場する。これは、禁中(御所)の「庭掃」が皇后に恋焦がれて芹(セリ)を摘むが、恋はかなわず焦がれ死んだ故事に由来するものとされており、遅くとも10世紀には「庭掃」が存在したことを意味する。
鳥羽天皇の時代(12世紀初頭)、藤原宗忠の日記『中右記』のユリウス暦1114年4月24日(永久2年旧暦3月18日)の項に「又召次並鳥羽殿庭掃事、仰云、任法可行」とあり、京都近郊、山城国紀伊郡鳥羽(現在の京都市南区上鳥羽・同市伏見区下鳥羽)に存在した広大な鳥羽殿(鳥羽離宮、一部を除き現存せず、跡地は鳥羽離宮公園・安楽寿院等)の「庭掃」について言及されている。
猿楽の世界から世阿弥が登場する14世紀後半より以前に成立したとされる『綾太鼓』(あやのたいこ、現在の雑能『綾鼓』)には、主役(シテ)として、女御(ツレ)に恋する「庭掃」の老人が登場する。これはのちに三島由紀夫が書いた戯曲『綾の鼓』(『近代能楽集』、1951年)では、「老小間使」として描かれる役どころである。
室町時代、15世紀末の1494年(明応3年)に編纂された『三十二番職人歌合』の冒頭には、「いやしき身なる者」として、「農人」(のうにん)とともに「庭掃」として紹介され、庭箒を手にして直垂を着用した老人と、草を入れた籠をもち小袖を着用した童子の姿が描かれている。この歌合に載せられた歌は、
名にたてる こや庭はきの 家の風 花をわが世の 朝きよめかな
というものであった。ここに描かれた「庭掃」も「農人」も、いずれも帯刀している。鈴木棠三は『日本職人辞典』において「庭掃」を、「所謂下男の事である」と記しているが、遠藤元男によれば、衣裳・装束や年少者の労働力を伴っている点から、「庭掃」とは下男・下僕のような存在ではなく、清掃に関する技術的な側面も含めた労務を提供した職業であった、と指摘している[8]。15世紀は、重商主義的社会であり、農本主義的価値観が退けられ、「農人」が賎視されるとともに同じ土を扱う「庭掃」が対になって描かれているのであろう、という指摘もある。原田伴彦は、同歌合における「庭掃」を「即ち庭者」としている。庭者、あるいは庭の者(にわのもの)とは、武家の庭掃除等を行う下級役人であり、室町幕府では庭奉行の配下にあった

何だよ庭奉行て・・・・・また新たな謎が増えたじゃねーかお・・・
このように、奴隷学とは長い長い国の宗教観によるものと、単なる犯罪者や障害者の集合体であり、文化面や民俗的なものを理解しないと完全には理解しえないようなのである。
しかしザコ奴隷という存在にはたまげたなあ・・

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