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コメント[ 0 ] 2014年08月07日09:20
ただ、現代社会だとせいぜい米騒動程度で終了してしまうので
現代で飢饉を調べる意義って天災の状態くらいじゃないかなあ
米騒動も米店頭に無くなったけど、パン食の流行とかタイ米のおかゆとかが流行して終了した気が・・・
おかずがあれば人間困らないからなあ・・・・・・

最大規模の飢饉は「天明の大飢饉」である。その他、元禄の飢饉(元禄年間 1691年~1695年)、宝暦の飢饉(宝暦年間 1753年~1757年)なども東北地方を中心に被害をもたらし、四大飢饉に次ぐ飢饉として挙げられる。東北地方の専門家は、天明・天保の飢饉に宝暦の飢饉を加えて三大飢饉と呼ぶこともある。また、延宝の飢饉(延宝年間 1674年~1675年)、天和の飢饉(天和年間 1682年~1683年)も被害が大きかったという。
寛永の大飢饉(かんえいのだいききん)は、江戸時代初期の1640年から1643年にかけて起こった飢饉。江戸初期においては慶長から元和年間にもしばしば凶作から飢饉が発生しているが、そのなかでも最大の飢饉。島原の乱とともに江戸幕府の農政転換にも影響した。
江戸時代は全期を通じて寒冷な時代であったといい、凶作や飢饉が絶えなかった。



驚いたのは、当時のエルニーニョ現象と飢饉との関係がすでに明らかになっている事。
平和な日本ですら中世は飢饉との戦いなので
原始的生活をおくってた南海諸国はしょっちゅう人口減少してたと思われ。
そもそも南米やインディアンプロパガンダの汚名返上も、地元の学者が必死こいて調べ上げて
真相解明した経緯によるものだからなあemoji

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